藤岡病院は愛知県豊田市折平町に存在する廃墟である。
小児科、内科を中心としていたが、交通の便の悪さなどから三ヶ月で廃業になったと言われている。
この記事では、藤岡病院の歴史についてお伝えする。
藤岡病院の歴史
1977(昭和52)年に小児科、内科を標榜科として設立された。
下の写真は1979年以降に撮影された写真である。

もともとは港北病院という病院の院長をしていた岡村氏は、税金対策のため山の土地を購入。
しかし、その土地が満足に手入れされていないことから、近隣住民からはクレームが絶えなかったようだ。
岡村氏はそれがきっかけで藤岡病院を開業した。
しかしながら、交通の便の悪さなどから利益もあげられないと判断した岡村氏は、80歳を超えた医師を代理院長とし、看護師3名を雇いなんとか経営したが、状態は一向に良くならずわずか3ヶ月で廃業となった。
1979(昭和54)年頃も診療していたらしく、閉院時期不詳となっている。
三階建てほどの中層建築で、閉院後に大規模な人的破壊が行われたらしく、ほとんどのガラスが損壊、大量の落書きが見られるという。
下の写真は、2007年に撮影されているが、建物付近まで木々が生い茂っている。

2019年2月時点で現存し、物品等はすべて撤去、ガラスの破片もなく、コンクリート剥き出しの建物のみとなっている。
バリケードや監視カメラが設置され厳重に管理されており、一時期は地元の方が交代で見張りに立っていたという。現在も地元警察の重点パトロール地域となっているらしい。
まとめ
心霊スポットとして様々な怪奇現象が噂されているが、廃墟が子供たちのたまり場になるのを危惧して、保護者達が『あの病院は幽霊が出るよ』と広めたのが真相とされている。
立地の悪さが主たる原因で閉業したとあるが、上空から見ると思った以上に周りに民家も多く立地が悪いとは思えないが、実際は茂みを抜けないとたどり着けない病院であった。
土地は私有地であり厳重に管理されているため、無断で立ち入るのはやめよう。
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