【山の牧場】の概要
【山の牧場】とは、小説家の中山市朗氏の実体験で、1999年に刊行された書籍『新耳袋』の第四夜に掲載され、一躍話題になった話です。
1982年8月に不思議な牧場へ迷い込んだ体験談が記されています。
迷い込んだ牧場の場所は兵庫県朝来市和田山町朝日という場所で、
グーグルマップでは朝日牧場と表記されています。
【山の牧場】のあらすじ
山の牧場のあらすじは、体験された中山市朗氏ご本人がYouTubeで解説されています。
二時間を超える動画となっていますが、体験者本人の話を聞きたいという方は、下の動画もご視聴もおすすめします。
中山市朗氏が大学の頃、知人から聞いた奇妙な話~ブラックメンとは~
中山市朗氏ご本人が、山の牧場に訪れる前に聞いた話になります。
この話が直接、山の牧場と繋がるかは分かりませんが、兵庫県朝来市はUFOの目撃数が多いことや後述する内容で未確認生物が絡んでくる話なので、前情報として記載します。
知人が中学生の頃、友人にUFO好きな少年Kがいたそうだ。
Kがある日、学校に来るなりUFOの写真を撮ったと大はしゃぎしていた。
しかし、その翌日から学校に来なくなってしまった。
欠席理由は誰にも明かされなかったがその数日後、Kは行方不明になったと聞かされた。
~数年後~
Kは行方不明になったまま現在も見つかっていないが、現状から踏ん切りをつけるためにKのお葬式が行われるということで、友人はお葬式に足を運んだそうだ。
そのお葬式の際に、Kの母から聞いた話だが、
Kが行方不明になる当日、家事をしていると身長2メートル以上の黒ずくめの男2人が家に訪れ、
『K君に大事なものを預けているので、Kの部屋に上がらせてくれないか。』と依頼されたそうだ。
そのときKはまだ学校に行っており不在であったが、Kの知り合いかと思い了承し家にあげた。
男2人はKの部屋で何か探しものをした後すぐに帰っていった。
Kが学校から帰ってきたところで、男2人が来たことをKに話すと、知り合いではないばかりか、Kの部屋が無茶苦茶に荒らされていたそうだ。
ちょうどその時、K宛ての電話が鳴った。
『UFOの写真を撮ったことを雑誌編集者が聞きつけたみたいで、今すぐ取材したいと連絡があったから行ってくる!』
とだけ言い残し、出て行った以来戻ってこないという話をKの母親から聞いた。
その話を聞いて、幼いころに読んだ少年マガジンの読者投稿を思い出したそうだ。
黒づくめの男が2人描かれたイラストで、それがどうも違和感があり、遠い記憶だが覚えていた。
そのイラストの名前ブラックメンであった。
2人目は、その知人が会社員になって出会った同僚の女性から聞いた証言である。
その知人は、その後大学を中退し就職することになったが、会社の同期にKが行方不明になった話や黒づくめの男の話をする機会があったそうだ。
その話を聞いたとある同期から、自分もブラックメンについて心当たりがあると告げられた。
その同期はUFOが好きで、友人二人でUFO多発地帯である北海道へ旅行に行ったときの話をしたそうだ。
北海道のとあるホテルのロビーでテレビを観ていた時、黒づくめの男2人組に声をかけられた。
男はUFOの研究をしているようで、『あなたが撮影した写真は非常に貴重で役に立つ。研究所に一緒に来てくれないか。』ということだった。
しかし、その時一緒に旅をしていた友人が、ちょうどお風呂に入っているから置いていけないと伝えると、無理やり手を引っ張られて連れて行かされそうになったそうだ。
その時、お風呂から急いで上がってきた友人が、『行ってはダメ!』と駆け寄ってきて、気づいたら黒づくめの男は消えていた。
そのことがあって、北海道で撮影した写真は全て削除したそうだ。
3人目の証言は、中山市朗氏が別の場所で聞いた話である。
1990年に大阪で開催された花の博覧会での出来事である。
イベントスタッフとして業務をしていた男性が、花の博覧会を開催している上空でUFOを目撃したそうだ。
その男もUFOが好きで、撮影した時は大はしゃぎをしていた。
しかし、UFOを目撃した日以来その話を一切しなくなり、性格も暗くなってしまった。
理由を聞くと、『UFOのことを話すと黒いやつが来る』と話していたそうだ。
3人が口をそろえて言っていた黒づくめの男『ブラックメン』の正体は何なのだろうか。
以上の3人の証言で出てきたブラックメンだが、
『宇宙人の死体の謎/矢追純一』という著書で、メンインブラックというものが取り上げられている。
メンインブラックとは、
- UFO・宇宙人に関する情報を持つ承認を脅迫する
- 2人組で全身黒づくめ
- 写真やフィルムを持ち去る
といった特徴があり、3人の証言と一致する。
しかし、この著書の初版は1983年となっており、上記の1人目、2人目の証言は初版以前の話となる。
果たして本当にメンインブラックだったのだろうか。
山の牧場での体験談
『山の牧場』は1982年、大阪府立大学の4年生であった中山市朗氏が、3人の友人とともに兵庫県の山中を訪れるところから始まります。
中山市朗氏は学生時代、映像学科に在籍しており、卒業に向けて自主制作映画の撮影中だった。
あらかた撮影を終えたところで、「もう少し風景画像が欲しい」と思い、制作仲間の友人3人とともに山中に車を走らせた。
すると山中で細い横道を発見。横道は乗用車がギリギリ1台通れるような幅で、勾配も急だった。
なんとなく興味を惹かれて登っていくと、「あと100m」「あと30m」とペンキで描かれたドラム缶が置かれた先に、赤い屋根の建物が見えた。降りてみたところ、どうやら牛舎のようだった。
しかし牧場らしきその場所には、数々の奇妙な点があった。
- 牛舎の鉄柵はピカピカで真新しく見える。排泄物を流す溝にも藁1本さえ落ちておらず、使われた形跡がない
- 牛舎の屋根は、まるで上から大きな力をくわえられたように2メートルほどの半球形にへこんでいる
- 牛舎の外、外壁から30cmほど離れた場所でトラクターがひっくり返っていた。しかし、トラクターがなにかにぶつかった形跡や、障害物などは見当たらない
- 牛舎の近くには二階建ての建物があるが、一階部分は石灰の山があり、建物の中にも外にも二階に入るための階段がない
- 裏の崖から建物の二階に侵入し、和室に入ったところ雛人形や市松人形、キューピー人形など十数体の人形が仰向けに並べられていた。押入れの中にも人形が仰向けに並べられていた
- 和室の壁や天井には押しピンで御札がびっしり貼られており、貼りきれなかった御札が束のまま置かれていた
- 倒れてきた襖に「タスケテ」とペンキで書かれている
- 襖の奥の部屋は板敷きになっており、やはり人形が仰向けに並べられていた
- 板敷きの部屋の壁には英語ともハングルとも違う文字がびっしりと書かれている
- 分厚い医学書も落ちており、近くにあったメモ用紙の最後には幼児が描いたような人間らしきものの絵が描かれ、横に壁と同じ文字で各部の説明のようなものが書き込まれていた
- ほかにも事務所のような建物があったので入ってみると、中には170cmはある巨石が置いてあり、その周辺に酒瓶やままごと道具が置いてあった
気味が悪くなって下山したものの、山中で見た奇妙な牧場のことが気になり友人に話した。
すると友人は、「細い道しか通っていない場所に、そんな建物をどうやってつくるんだ。資材も運べないだろう」と笑われてしまった。
そこであの建物にはトイレや台所など、人が暮らすために最低限必要なものさえなかったことに気がついた。
役所に務める友人に聞いても「あの山に牧場があるなんて聞いたことがない」といわれた。
以上が中山市朗氏が初めて山の牧場に訪れた際の話である。
それから10日ほど経った頃、後輩のKという青年から「先輩が見つけた変な牧場に自分も行ってきました」とやってきた。
噂で牧場の話を聞いたK君は友人と2人で写真を撮りに行ってきたそうだ。
K君は「牧場の前に黒いリムジンが2台停まってたんですよ。だから、誰かいるのかと思ったんですけど、人の気配はなかったですね。あれ、何だったんでしょう」と続ける。
K君は友人は山の牧場で100枚ほど写真を撮ったといい、黒いリムジンも撮影したという。気になったので「現像できたら写真を見せてよ」と頼んだ。
それから2ヶ月が過ぎた頃、K君に「写真、できた?」と聞いてみると、K君は「彼が写真のフィルムを持っているのだが、一緒に山の牧場に行った友人と連絡が取れない」という。
探したところK君の友人は下宿を引き払って実家に帰り、さらに実家からも一家全員が姿を消していたことが判明。一家の失踪と写真のフィルムに関係があるのかは、不明のままだ。
それから5年後、中山氏はまた山の牧場に訪れることになる。
1987年の夏、5年前に一緒に山の牧場に行った友人・F君から連絡が来る。F君は学校の先生になっており、山の牧場の近くにある分校に赴任しているという。
なんでもF君の勤務先は本校と分校合同で山の牧場付近で夏休み中に校外学習をする予定があり、下調べで牧場に行ったところ、なんと普通に人がいて「牧場として運営されている」ことを確認したそうだ。
「でも変なんだよな。お前もちょっと見に来ないか?」とF君に誘われ、私は再度、山の牧場に向かった。
すると本当に従業員らしき人が5〜6人いて「4年前から牧場経営を再開した」という。
なんでも従業員によると、この牧場は神戸の医者が道楽で開業したものの、すぐに経営困難になって潰れて放置されていたらしい。
しかし「経営を再開した」というものの、山の牧場の様子は一切変わっておらず、事務所には巨石が置かれており、その周りに事務椅子があるという奇妙な光景が広がっていた。
さらに放牧場には牛は一頭もいない。そもそも牧場なのに獣臭もしないのだ。
不思議に思った私は、従業員に「牛はどこにいるんですか?」と聞いてみた。すると、従業員は「あそこにおるで」と言って、締切にされた状態の牛舎を指差す。
真夏に、締め切った牛舎で牛を育てるのか?熱中症でしんでしまうのでは?と思ったが、それ以上は聞いてはいけないような雰囲気があったため、話題を変えることにした。
「この辺、UFOが出るっていう噂があるそうですね」笑い話のつもりで、周辺で囁かれている噂話について振ってみると「ここ、3日もおったら変なものが見れるで。この前もオレンジ色の光が、あっこからピカピカ出てきてな」と予想に反して話が弾んだ。
奇妙な印象はあったがF君の学校行事の関係者として訪れている以上、変な発言もできない。
釈然としないまま下山してしばらく経って、中学校時代の同級生Y君に山の牧場の話をしたところ「あそこ、牧場なんてやってないぞ」「山の中が空洞になっているって話もある」という。
なんでもY君の住んでいる地域の自治会は、定期的にボランティアで山の牧場がある山で美化活動をおこなっており、牧場の近くも通ることがあるが牛の鳴き声一つ聞いたことはないそうだ。
また、山のある場所で四股を踏むと地中から「ドォ〜ン」という地鳴りのような音がするため、「面白い山だ」「中は空洞になっているんじゃないのか?」と言われているらしい。
冗談めかして「あの山の中はUFOの基地になっていて、牧場はカモフラージュで建てられたのかもな」などとY君と話して盛り上がったが、「牧場はなにかのカモフラージュ」という説は妙にしっくりきて不気味だと感じた。
その1年後、北野誠のラジオ番組『誠のサイキック青年団』で取り上げられることとなった。
1988年、北野誠氏から「山の牧場の話、聞いたよ。行ってみたいんだけど場所を教えてよ」と連絡があった。
場所を伝えた後、北野誠氏は友人と山の牧場に行ったといい、竹内義和氏とパーソナリティを務めるラジオ番組『誠のサイキック青年団』で「本当にあった。人形と御札の部屋もあった。でも従業員も牛もいなかったよ」と話し、これが大きな話題を呼んだ。
反響が大きかったためか『誠のサイキック青年団』は1990年11月16日にABCテレビの深夜枠で一回限りのスピンオフ『サイキックTV』の制作が決まり、山の牧場にTV局が入ることに。
TVで放送したときには牧場は経営状態であり、従業員数名と牛5頭が映された。番組内では「牧場は普通に経営されていました」という結論で終わったが、私はもちろん北野誠氏も同行した竹内義和氏も納得していない様子で、以下の点がおかしいと訴えてきた。
・あの規模の施設で牛が5頭しかいないなんて、採算がとれない
・以前はなかったトイレができていた。学校の校外学習などで使うから新設したのかもしれないが、牛舎のなかに小便器が30個も並んだ奇妙なトイレが新設されていて、明らかにおかしかった。
北野誠氏と竹内義和氏と話した結果、なんとなく裏社会の気配を感じたために、私はこれ以上山の牧場にはかかわらないほうが良いと感じた。
その後、サイキックTVの影響で山の牧場は広く知られるようになり、面白半分に探そうとする人も増えてしまった。
迂闊にあの場所に近づく人が出ないように、最後に自分の体験談をまとめておいたほうが良いだろうと思い、『新耳袋』の第四夜に『山の牧場』の話を載せることにしたようだ。
2004年に不思議ナックルズが独自取材で現地へ潜入することとなる。
中山氏は同行しなかったが、不思議ナックルズの取材では、過去のゼンリン地図から牧場を調査を行った。
調査した年表は以下のとおりである。
1971年 牧場はまだ存在していない
1978年 A牧場SS(個人名)
1979年 名称は無いが、敷地が線で囲まれ空白で表記
1981~82年 『牛舎』との表記のみ
1985・88・90・01年 『A牧場牛舎』
このことから、中山氏が初めて訪れた1982年は『牛舎』と表記されており名称が無いため、運営をしていなかった可能性がある。
その後の調査で、法務局へ行き登記簿を調べたが、この牧場には番地が存在しないことが分かった。
牛舎や管理棟等、何棟かあったがその一部の棟は登記されておらず、違法建築であった可能性があるということが分かった。
最終的な牧場の持ち主は、農事組合法人Tという組織となっているが、現在は存在していない。
中山氏はその後、山の牧場には関わらないほうが良いと考えていたが、様々な専門家達が山の牧場を訪れて検証するということで、再び訪れることとなった。
2005年に再び山の牧場へ行くことになり、建築家・宇宙工学者・ヤクザ・格闘家・探検家等の様々な専門家で検証を行った。
山の牧場の道中で、関西電力のおばちゃんとすれ違ったが、そのおばちゃんによると、『この先には何もない』と牧場の存在を否定するような発言をしていた。その後牧場にたどり着くが、牧場は無人で電気も通っていなかった。関西電力のおばちゃんは何を検針していたのかは謎である。
各専門家の分析によると、
・階段がない二階建てというのは設計ミスとしか考えられないが、こんな設計ミスをするプロはいない
・連結していた他の建物があり、そこから二階に入れたのではないか?との指摘もあるだろうが、他の建物の基礎や残置物が残っていないため、もともと「普通の方法では入れない」二階を意図して作っているように見える
・牛舎の屋根を支える鉄骨は12mはある。この資材の搬入経路も不明
・ヘリコプターで資材を運ぶためには法律上の手続きが必要だが、番地もない場所ではその手続さえできない
等の見解が上がり、その日は牧場を後にした。
3年後、再び牧場を訪れることになった。
2008年に映画監督たちと再び牧場へ行くこととなる。
牧場は無人であったが、何故か牛舎が一つ増えていた。
その他にも、2階にキッチンやバスルームが出来ていたり、新たに建物が増設されており、ベッドや洗濯機・冷蔵庫等が置かれていた。明らかに女性が住んでいた形跡があった。
しかし、その日はどこからか発電機のような音がして、恐怖を感じてすぐ撤退した。
その3年後、イベントの企画として再び牧場を訪れた。
2011年、TV番組『北野誠のおまえら行くな』の企画として、牧場で怪談会をすることとなった。
5度目の訪問で、数々の不可解な現象が起きることとなる。
- 牛舎の地面にまるで隕石が落ちたような巨大なクレーターが出現していた。
- 牛舎の天井にお札を留めていた無数の押しピンの跡がついていた。
- 女性の部屋に、診療所の名刺が落ちていたので電話を掛けたが、全くの別人であった。その名刺をよく見ると、郵便番号と住所があっていない名刺で、電話番号はでたらめの記載がされていた。
- 牛舎に行く途中や怪談会中に、牛がいないにも関わらず、強烈な獣の匂いがした。
- 怪談中に二足歩行の小動物のような足音が響き、テントの脇を通り抜けていったが、そのあとすぐに外を見ても誰もいなかった。
- 寝ようとしたら謎の光を目撃した。
などの不可解な現象が起きた。
2013年に、動画撮影でもう一度山の牧場へ行った。
牧場への道はジャングル化しており、整備はされていなかった。
山の牧場も廃墟になり、管理をしていないようであった。
5度目の訪問で見つけた巨大な穴も広がっていたため、山が空洞になっており、陥没したため、穴が開いたのか?という見解となった。
その後、2018年 中山氏自身のチャンネルの撮影にて訪問をしたがもうすでに建物が全壊状態になっていた。
しかし、廃墟なのにピカピカの光沢のあるチラシが置いてあり、見た目は刷った直後のようだったが、1980年代のものであった。そのため、時空がゆがんでいるのではないかとの見解がなされていた。
以上が山の牧場という怪談の全貌となります。
不可解な点が多々ある
【山の牧場】の真相
何の目的で建てられた?
山の牧場の正体は、馬を生産する事を目的とした 生産牧場 だったのではないかとの見解があります。
その理由は、中山氏以外に山の牧場を訪れた方の中に、『人工授精日 種雄牛名 最終分娩日 妊娠鑑定日 分娩予定日等の項目が記されたプレートが落ちていた』という記事が見つかりました。
また、『牛舎の床には干し草が散乱していた。』とも記載されていることから、もしそうであれば、『排泄物を流す溝にも藁1本さえ落ちておらず、使われた形跡がない。』という点と異なることになります。
2階建てなのに階段が無いのはなぜ?
この話で最も謎が多いのが、『なぜ階段を作らなかったのか』という点です。
例えば、リノベーションして他の用途にする場合や、建築基準法の改定等の影響によって、法的にアウトになってしまった建築は、2階に行けないように階段を塞ぐ場合があります。
しかし、この建物はそもそも階段が無いという点が不可思議です。
中山氏が訪れた1982年にはすでに階段が無かったということですので、不思議ナックルズの調査によると建物が出来たのが、1971~1978年の間だとして、築9年未満の建物であったことになります。
『外階段がもともと設置されていた。』や、『階段が無い事務所棟の横に、もう一つ建物があったのではないか。』との見解が多いですが、建設から10年もたたずに階段を壊さなければならない理由があったのでしょうか。
無数のトイレの使用用途は?
牧場の従業員数に対して、トイレの数が多すぎるという謎に関しては、『宇宙人が使用するのではないか』との見解が多くありました。確かに、あの山の中にパーキングエリア並みのトイレがあるわけですから不思議です。
こちらは、山の牧場の隣の敷地が昔キャンプ場として運営されていたという噂があります。
もしキャンプ場だったのであれば、トイレが多くあることは不自然ではありません。
隕石が落ちたような穴の正体は?
何かが落ちてきたのではなく、本当に山に空洞があったのかもしれません。
日を追うごとに穴が大きくなっていってるということは、徐々に陥没しているという可能性も考えられます。
しかし、牛舎を建設する段階で地中の調査は必ずしていると思いますので、もし空間があったとしたら大問題です。調査をせず素人が建築をしたのかもしれません。
【山の牧場】まとめ
中山氏自身が『この話を自分が取り上げていなかったら、こんなに注目される牧場ではなかった。』とおっしゃっていました。
それほど見つけづらい場所にありますし、明かされていない情報が多いということです。
幽霊が出るわけでもないのに不気味さを感じさせることから語り継がれている『山の牧場』の話。最近の動画だと建物の一部が斜めになって壊れかけている状況ですので、取り壊される日も遠くないのではないかと思われます。
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